オージーライフ・離

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日光と健康
先日のド深夜、日本では絶対に起こらないことが
ここオーストラリアで起きました。
突然、時計の針が1時間分前に進んだのです。
時は2時、次の瞬間には3時になっていました。
まるでワープしたような気分でした。

実は、オーストラリアの(一部の地域)を除いて、
デイライトセービングタイムという夏時間に突入したのです。
この夏時間になった日は、土曜から日曜にかけての深夜の時間で、
さらにその翌日には国の祝日(labour day)として
しっかり3連休目が用意されていました。

体感的には、1時間減ったことになりますが、
3連休を使って思いっきりリフレッシュしたので、
体力的には余裕ができたような感覚があります。
(後述しますが、普段よく寝ているせいもあるかもしれません)

最も嬉しいのは、太陽の光の恩恵を
長い時間受けることができるようになったことです。
最も日が長い時期だと、20時過ぎまで明るい状態にあるので、
仕事が終わった後も飲みに行けたり外で運動できるので、なんか得した気分です。

絶好のランチスポットです。オペラハウスを見ながら芝生でランチします

昼は近くの公園でランチを取るようにしています。
無論一人ですが、全く寂しくありません。
昼になると近くの座れるベンチや芝生や段になっているところは、
オージーたちが各々昼食を取る場所と化します。

サラダバーなんかで昼食を選んだら、
栄養も取れるしセロトニンも分泌されるしで一石二鳥です。

夜になるとそのおかげかスッと眠りに入ることができます。
一日が過ぎるのがとても速く感じますが、ある一定のリズム感があります。
正直に言うと、東京に住んでいたときは、
30年間も居たのにも関わらず感じたことがないものでもあります。


何もないシドニー

キレイなビーチですが何もありません

逆の言い方をすると、オーストラリアのシドニーには何もありません。
同じものでも東京の方が楽しさ満載・コンテンツ満載です。
東京にはとにかく刺激的な何かが毎日あったなぁと思います。

シドニーでする楽しいことと言えば、スポーツだけです。
もうそれしかないといっても過言ではありません。
僕には挑戦していることが3つあります。
体格が違いすぎて毎回苦戦しつつも
定期的にジムの格闘技のクラスに参加していること。
自主練も欠かしません。
次は、休みがきたら地元の上級者たちがいるビーチに行って
サーフィンをすること。
モタモタしているとめちゃくちゃ怒られます。
最期は、仲良くなったオーストラリア人女性と
一緒にクラブに行って踊れなかったことが悔しくて踊れるようになるために
大学のスウィングダンスサークルに突撃して
混ざって練習させてもらっていること、です。

これらのすべてのアクティビティで大学生から地元の人まで色んな人と知り合える
(便利な言葉で、「ソーシャライズできる」)のですごく楽しめています。

東京にいたら他にやることがあって出来ていないと思います。


もうすぐシドニー生活が8ヶ月になろうとしています。
極めたものは何もありません。

ただ、最近気付きつつあるのは、幸せって何なのかということです。


シドニー的幸せ

シドニーでの他人から浴びせられる視線は、敬意に満ちています。
ただし、その人と目が合えば、です。
この目が合う確率というのは、東京よりも少ないと感じます。
みんなそれぞれ自由に別で生きている感じです。
ただし、繋がったときは急速に身近になります。
自分が取らなくても良いと思っていたフライが急にこっちに飛んでくることはあり、
しばしば慌てますが、話が始まるとさも昔からの友人のような距離感になるので、
赤の他人だからこそ色々喋れるといったこともあります。

別々に生きているようで、繋がることに全く負担がかからないので、
たぶんみんな幸せなんだろうと思います。

もし自分が不利益を被りそうになっても、
最初は敬意を持って接するということが当たり前のようです。
文句を言われるときも、いきなり大声で怒鳴る人を見掛けたことがありません。
たぶんそれをやってしまうと、僕の肌感覚ですが、
相手だけでなく周りの第三者までも敵に回すということを分かっているんだと思います。
無礼な態度は即自分の不利益になるということです。

例えば、日本の満員電車のような場で喧嘩が始まったとすると、
シドニーでは周りの人が黙っていたり、見てみぬフリをするようなことはありえません。
その点でも、シドニーの人は各々それなりに満ち足りているからこそ
他人へ共感して立ち上がることができるんだろうと思います。

家の庭。座って空を眺める場所です

この「それなりに」という感覚こそ、僕が今回の寄稿で強調したい部分です。
「自分自身は完全に満足しているわけではないけれど、
皆それなりに幸せそうにしているし、まぁいっか」と
言わんばかりのような他人への視線と良い加減ないいかげんさです。
それで社会が回っているので、まぁいっか、です。

もちろんこれは私自身の個人的な感覚であり、
言葉遊びの域を出ないかもしれません。
様々な社会的な豊かさや個人の受け取り方にも依るところもあると思います。

ただ、この感覚がないと一個人としてはシドニーでは生きていけないとも思います。
許し許され、人間の瑞々しさがある、そんな感覚です。


では、またの機会に!
シドニーやオーストラリアに関する情報で必要なものなどがあれば
お気軽にメディシンクまでお問い合わせください!